中国先生の、以前行った場所のご質問について。
2012-09-19
どうも僕です。
以前、私が中国先生の病状について書いた記事に対し
質問を頂きまして。
『春頃だったか現在は記事を消されているようですが、ある場所に行き
バチがあったんだと、とても後悔されていました。』
と私が記していたのですが、
「中国先生のある所に行って後悔した場所って、何処なんでしょうか? 」
という内容。
もう一度、中国先生の記事を見直したのですが
やはり消されておりました。
私の記憶に残る場所は、能見島のある場所だったと思います。
楽しみで読まれていた方でしょうから、記憶にあるかもしれませんが
確か地元の方に聞いて、山の中に少し入り探された?古い墓地だったと思います。
古いそんなに大きくない墓石がいくつか並んでいる写真を
載せられていたような・・。
中国先生と話していて、おっしゃられた言葉をハッキリ覚えてはいないのですが
その場所は、「空気が違い少し異様な雰囲気だった」というような事を言われておりまして。
そして、記事にした時にあまり良い紹介ではなかったので
バチがあたったんだと何度か言われておりました。
どんどん様態が悪くなって行く様子に、
場所を聞き、その場所へ私が謝りに行こうかと思った程でして。
でも、まあそんなことがある訳もなく
病気になられたのでした。
すいません、場所をもう少し覚えていれば良かったのですが・・。
以前、私が中国先生の病状について書いた記事に対し
質問を頂きまして。
『春頃だったか現在は記事を消されているようですが、ある場所に行き
バチがあったんだと、とても後悔されていました。』
と私が記していたのですが、
「中国先生のある所に行って後悔した場所って、何処なんでしょうか? 」
という内容。
もう一度、中国先生の記事を見直したのですが
やはり消されておりました。
私の記憶に残る場所は、能見島のある場所だったと思います。
楽しみで読まれていた方でしょうから、記憶にあるかもしれませんが
確か地元の方に聞いて、山の中に少し入り探された?古い墓地だったと思います。
古いそんなに大きくない墓石がいくつか並んでいる写真を
載せられていたような・・。
中国先生と話していて、おっしゃられた言葉をハッキリ覚えてはいないのですが
その場所は、「空気が違い少し異様な雰囲気だった」というような事を言われておりまして。
そして、記事にした時にあまり良い紹介ではなかったので
バチがあたったんだと何度か言われておりました。
どんどん様態が悪くなって行く様子に、
場所を聞き、その場所へ私が謝りに行こうかと思った程でして。
でも、まあそんなことがある訳もなく
病気になられたのでした。
すいません、場所をもう少し覚えていれば良かったのですが・・。
コメント
早速の記事、お時間を割いて頂き、誠にありがとうございます。
能美島との事ですが、私は中国先生のその記事を見た記憶はありませんが、江能4町探索はよく行きましたので、ちょっと不安になってきました・・・・
山にある墓石は存知ませんが、あそこらへんは昔の砲台跡や弾薬庫跡、それに纏わる供養跡などが多くあり、かなり散策しています。通った事が無ければ良いのですが・・・
能美島との事ですが、私は中国先生のその記事を見た記憶はありませんが、江能4町探索はよく行きましたので、ちょっと不安になってきました・・・・
山にある墓石は存知ませんが、あそこらへんは昔の砲台跡や弾薬庫跡、それに纏わる供養跡などが多くあり、かなり散策しています。通った事が無ければ良いのですが・・・
Re: タイトルなし
>怪祖さん
中国先生は、そういう場所に行かれたら一番に
手を合わせられてました。
私はスグにズカズカ入ろうとするので見習わなくてはいけません。
この時に記事は、場所か墓だったかの「悪口書いたから・・。」と言っておられたので
後悔されていたのだと思います。
中国先生は、とても気を使われる優しい方だったのですよ。
中国先生は、そういう場所に行かれたら一番に
手を合わせられてました。
私はスグにズカズカ入ろうとするので見習わなくてはいけません。
この時に記事は、場所か墓だったかの「悪口書いたから・・。」と言っておられたので
後悔されていたのだと思います。
中国先生は、とても気を使われる優しい方だったのですよ。
Re: タイトルなし
>さく太郎さん
いえいえ、記事が遅くなり申し訳ございません。
>あそこらへんは昔の砲台跡や弾薬庫跡、それに纏わる供養跡などが多くあり
そうなんですか!
私、最近そういう跡に興味があるのです。
まだ散策したこともありませんが、あの辺りにもあるんですね~。
しかし、中国先生は戦争関連には全く興味がありませんでした。
あの場所は、普通では分からないような場所と言われていたので
さく太郎さんは通られてはないと思いますよ。^^
いえいえ、記事が遅くなり申し訳ございません。
>あそこらへんは昔の砲台跡や弾薬庫跡、それに纏わる供養跡などが多くあり
そうなんですか!
私、最近そういう跡に興味があるのです。
まだ散策したこともありませんが、あの辺りにもあるんですね~。
しかし、中国先生は戦争関連には全く興味がありませんでした。
あの場所は、普通では分からないような場所と言われていたので
さく太郎さんは通られてはないと思いますよ。^^
亀ヶ首トンネル周辺かと思ったが
ありゃ倉橋島だしな・・・
ありゃ倉橋島だしな・・・
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ただ、ブログを読まれてる読者の方に楽しんでもらおうという、読者への配慮から、脚色した内容で紹介されたのではないでしょうか。
その場所に対し、その事をずっと後悔されていたのだと思います。
だから記事も削除されたのでしょう。
人に対しての配慮だけでなく、場所や物に対しての配慮も常にお忘れにならない、中国先生の人柄と優しさが伝わってきます。